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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)360号 判決 1995年12月20日

原告

甲野春子

右法定代理人親権者兼原告

甲野太郎

甲野夏子

右原告ら訴訟代理人弁護士

東幸生

被告

乙山一郎

右訴訟代理人弁護士

前川信夫

主文

一  被告は、原告甲野春子に対し、金六〇三一万一六二八円、原告甲野太郎に対し、金一五三五万九四八〇円、原告甲野夏子に対し、金二七〇万円及びこれらに対するそれぞれ平成三年二月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は、一項に限り、仮に執行できる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告甲野春子(以下「原告春子」という)に対し、金六七八九万四六四一円、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という)に対し金八七四七万五八三七円、原告甲野夏子(以下「原告夏子」という)に対し金一一〇〇万円及びこれらの各金員に対する昭和六〇年一月九日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要等

一  事案の要旨

本件は、被告が開業している産婦人科医院において出生した原告春子が、生後黄疸の症状を呈し、重症化したため、生後三日目に淀川キリスト教病院に転送され、同病院で交換輸血を受けたが、新生児核黄疸を原因とする脳性麻痺という重篤な後遺障害を残したとして、原告春子及びその両親が、原告春子の右後遺障害の原因となった新生児核黄疸を防止するための措置、具体的には、同女を観察し適切な処置をとること或いは適時に転医させることを怠った、また、その前提として同女の血清ビリルビン値(以下「血清ビ値」という)の測定方法を誤ったという被告の診察義務の不履行を理由として、被告に対し、逸失利益、介護費用、慰謝料等の賠償請求を求める事案である。

二  争いのない事実等

1  当事者

(一) 原告春子は、原告太郎と同夏子との間の長女(第一子)であって、昭和六〇年一月九日午後九時二七分に生まれた(甲一、二)。

(二) 被告は、肩書住所地で、産科、婦人科を専門科目とする医院(以下「被告医院」という)を妻乙山秋子(医師)とともに開業している医師である。

被告医院においては、被告が院長で、妻が副院長である。

2  診療契約の締結

原告夏子は、被告との間で、原告春子の出生前は本人として、同人の出生後は本人ないし同人の法定代理人として、また、太郎は、原告春子の法定代理人として、被告との間で、原告春子にもし心身の異常があれば、被告においてその原因ないし病名を的確に診断したうえ、その症状に応じた適切な治療行為(転医を含む)をなすことを内容とする診療契約(以下「本件診療契約」という)を締結した。

3  被告医院における原告春子の症状と診療の経過

(一) 原告夏子は、引っ越ししたこともあって、昭和五九年七月三一日より、被告医院へ通院することとなった。通院中、原告夏子の身体には、取り立てて異常は認められず、妊娠経過(母子とも)は順調であった。

(二) 原告夏子は、予定日が昭和六〇年一月三一日(以下、とくに年を示さない場合は昭和六〇年のことであり、日時のみの記載は、同年一月のこととする)であったのに早く産気づき、九日午後八時すぎ、被告医院に入院し、同日午後九時二七分、副院長の分娩介助のもとで原告春子(在胎期間三六週六日)を分娩した。生下時の原告春子は、体重二三八〇グラムの低体重出生児(SFD)であったが、身体機能のどこにも異常が見られなかった。ただ、低体重出生児であっことから、副院長は、原告春子を直ちに保育器に入れた。

(三) 被告は、一一日午後八時一〇分、分光法により血清ビ値を測定した(以下、同日の被告の血清ビ値の測定を「本件血清ビ値測定」という)が、その値は、8.4mg/dlであった。

その後、被告は、原告春子の黄疸につき、計測措置やクームス試験などの原因究明行為及びそれに対する治療行為を行っていない。

(四) 一二日、被告は、原告春子を淀川キリスト教病院に転送することを決め、事前に同病院に連絡をとり、自己が運転する自動車に原告太郎を同乗させ、午後一二時五〇分、原告春子を淀川キリスト教病院に搬送した。

4  転院後の状態等

(一) 淀川キリスト教病院へ転送された原告春子は、直ちに血清ビ値を測定された。その値は、分光法によれば17.6mg/dl、フリービリルビン法によれば、39.7mg/dl、ジアゾ法によれば38.5mg/dlであった。

(二) 淀川キリスト教病院においては、原告春子に対し、核黄疸の防止、それによる後遺障害の発症の防止という趣旨から一二日(二回)及び一五日(一回)に交換輸血を行った。

5  原告春子は、核黄疸に罹患し、それによってアテトーゼ型の脳性麻痺を発症し、身体障害者等級二級に該当する体幹機能障害(後遺障害)を残している(甲三、四、証人玉井)。

三  当事者の主張

(原告の主張)

1 診療の経過

(一) 被告医院における診療の経過

(1) 被告は、本件血清ビ値測定により8.4mg/dlの結果を得ているが、その際、被告は、原告春子の血液が粘いことから、多血症を疑っている。

(2) 本件血清ビ値測定後、被告は、原告春子に鼻腔カテーテルを入れているが、これは原告春子の哺乳不振を補うために行われたものである。原告太郎及び同夏子は、同日午後九時ころ、担当の看護婦から、「お乳の飲みが悪くて鼻からチューブを入れているが驚かないで、心配しないで」と説明を受け、ぐったりとした原告春子の様子を見ている。

(3) 一二日午前一一時ころ、副院長は、原告夏子、同太郎及び原告春子の祖父母に対し、原告春子の黄疸がきつく、足の裏まで黄色くなっているが、被告医院では、血清ビ値を測定できないので、淀川キリスト教病院に転院させると伝えた。

(二) 淀川キリスト教病院における診療の経過

(1) 一二日午後一二時五〇分、原告春子は、淀川キリスト教病院に到着したが、その際、原告春子の体温は38.4℃で、非常に重症の黄疸があり、過敏症状、四肢の異常運動がみられ、モロー反射はあるもののスムーズではなく、吸啜反応はあるものの乏しいというものであった。このように、原告春子の淀川キリスト教病院到着時の所見は、核黄疸第一期症状を疑わせる異常なもので、かつ転院からわずか二時間余で生ずるようなものではなかった。

(2) 淀川キリスト教病院では、直ちに原告春子に対し血清ビリルビン値の検査を含めて各種検査を行い、その結果と同女の転院時の状況から交換輸血を三回にわたって施行した。しかし、原告春子は、核黄疸に罹患し、それが原因となって脳性麻痺を発症し、成長の遅れも著しい身体障害者等級二級の後遺障害を残し、今後の日常生活全般において介護を要する状態となっている。

2 被告の責任

(一) 被告の義務違反

(1) 管理・観察義務違反

(イ) 新生児期に必要な一般的観察義務

新生児疾患は、その症状が臓器及び部位による特異性が乏しいため、特定の症状が特定の疾患に対応しているという一対一の関係が必ずしも成り立たず、その原因的疾患を鑑別することが必ずしも容易でない。

また、新生児の身体的機能の未熟性のため、新生児疾患は急激に重大な疾患に発展することが多く、しかも、治療方法も新生児の身体各部の未発達性を反映して、大幅に制約されるため、診断及び治療はできるかぎり早期になされなければならない。

他方、新生児の異常所見については、一般的な観察を怠っていなければ、発症の時期まで正確に判断できる場合が多いと言われている。

そのため、医師や助産婦・看護婦は、新生児に特異な身体的特徴がないか、身体活動につき異常がないかについて、経時的な一般的観察を怠ってはならず、一般的な観察で異常が認められた場合には、直ちに各種の客観的な検査が必要とされる。

(ロ) 核黄疸の危険増強因子

原告春子は、早産かつ低体重出生児であり、これらはいずれも核黄疸の危険増強因子である。また、原告夏子は、ABO式血液型によればO型で、原告春子はB型であるから、新生児溶血性疾患に罹患する危険要因を備えていたうえ、原告春子の分娩にあたり原告夏子には、危険増強因子である感染症を疑わせる羊水混濁が見られた。

さらに、被告は、本件血清ビ値測定の際、原告春子の多血症を疑っているが、多血症(過粘度症候群)もそれ自身、高ビリルビン血症を来す原因となり、また酸素代謝の悪化事由として血液を、危険増強因子であるアシドーシスに導くものである。

(ハ) 被告の管理・観察義務違反

被告は、原告春子に黄疸が出現した後、同女には核黄疸の危険増強因子が重なっていたのであるから、黄疸の推移について、病的なもの(核黄疸のプラー第一期の症状の有無も含めて)かどうかを診断するため、自己のみならず、助産婦・看護婦も含めて慎重な観察をすべきであった。そして、そのような観察を行っていれば、少なくとも黄疸の症状、哺乳力の低下等から原告春子の黄疸が生理的黄疸でないと判断できたにもかかわらず、被告は、プラー第一期の症状発見に必要な管理・観察義務を怠った。

(2) カルテ記載義務違反

(イ) カルテ記載義務

右の一般的観察義務を実質的に担保するため、医師らは、観察結果をカルテに記載する義務がある。体温、呼吸数、脈拍数、体重、便や尿の回数、哺乳力、黄疸の程度といった、存否ではなくその数値が問題となる量的事実については、経時的な観察が連続的に記載されて、はじめて異常の有無の判断資料となるのであるから、その観察結果は、カルテに記載されなければならない。

また、医師ひとりのみによって観察がなされるわけではないことからも、量的事実の記載は必要である。

(ロ) 原告春子に関するカルテの記載

原告春子に関するカルテ(乙二、三)には、量的事実の記載が欠けているうえ、黄疸についての記載も、一〇日午後八時一〇分の「ビリルビン8.4mg/dl」、一一日午前一〇時の「顔面黄疸様なり」のみである。この記載のみでは、黄疸児に対する管理観察上重要な事実とされている、生後何時間頃から認められた黄疸か、新生児の一般的臨床症状、危険なビリルビン値にどれだけの時間さらされていたのか等が不明であり、被告は、カルテ記載義務を尽くしたとはいえない。

(ハ) カルテの記載の信用性

被告がカルテ記載義務に違反していることは明らかであるが、さらに進んで、右カルテは、記載内容の杜撰さ及び血清ビ値やモロー反射、吸啜力などにおける淀川キリスト教病院のカルテ記載との整合性のなさからして、その信用性に疑問がある。

(3) 黄疸に対する対処

(イ) 病的黄疸についての確認義務

正常な新生児のうち、二五ないし五〇パーセントの者については、生後一週間内に黄疸が認められるといわれる。そこで、新生児の生後一週間以内に黄疸が認められた場合には、各種の検査を通じて、生理的黄疸であるか病的黄疸であるかを鑑別し、病的黄疸については、必要な検査を通じて原因を探り、早期に適切な治療を施し、核黄疸に罹患させないようにしなければならない。

すなわち、新生児に肉眼的に黄疸を認めた場合には、血清ビ値及び直接ビリルビン値を測定し、病的黄疸を除外するための判断基準に照らして病的黄疸の疑いがある場合には、血液型試験、クームス試験等により病因を究明する必要がある。

(ロ) 血清ビ値の測定方法の過誤

分光法で血清ビ値を測定する場合、検体採取の際に血液を絞り出すようにすれば、細胞組織液により検体が薄まり、血清ビ値は不当に低値となる。

(ハ) 被告の措置

本件血清ビ値測定の際、分離された血清の量が少なく、測定ミスを疑う素地が十二分にあったのであるから、被告は、同日中に再度血清ビ値を測定し、もしその際、血清ビ値の測定が困難であったのであれば、安全を考えて直ちに転医措置をとるべきであった。しかるに、被告は、再度血清ビ値を測定することもなく、多血症の疑問を抱きながら、その疑問を究明する措置を何ら講じなかった。

また、原告春子に対する管理、観察から本件血清ビ値測定の際、少なくとも生理的黄疸でないと判断しえたことからも、被告は、以後頻回に血清ビ値を測定(少なくとも一日二、三回)して、その後の措置(転医措置をとるべきかも含めて)を講ずるべきであったのにそれをしなかった。

(二) 以上のように、被告は、原告春子らに対し、診療契約上の義務に基づいて、原告春子の病的黄疸の原因を究明するとともに、昂進しつつある病的黄疸の推移を慎重に観察し、時期を失することなく適切な治療措置を講ずる債務を負っているにもかかわらず、被告は、原告春子を淀川キリスト教病院へ転医するまでの間、病的黄疸の原因を究明することなく、しかもその推移の慎重な観察を怠り、そのため、病的黄疸に対する適切な治療措置(交換輸血)を講じる時期を失し、よって原告春子をして核黄疸による脳性麻痺の状態に陥らせたものである。

3 損害

(一) 原告春子の逸失利益

労働省統計情報部発行の平成五年の賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の「一八〜一九歳」の平均給与額は、二〇六万四九〇〇円である。

原告春子の労働能力喪失率は、後遺症の程度から一〇〇パーセントと考えられる。

したがって、昭和六〇年生まれの原告春子の、稼働可能期間(満一八歳から六七歳まで)の逸失利益は、新ホフマン方式によると、四一三一万一六二八円となる。

(二) 原告春子の慰謝料

原告春子が治癒不能な重大な脳性麻痺により、生涯を通じ、肉体的、精神的苦痛を味わうことは明らかであり、その苦痛を慰謝するには、三〇〇〇万円が相当である。

(三) 原告春子の看護費用

原告春子は、日常の起居動作が極めて困難で、生涯にわたり日常生活全般に介助が必要であると思われる。

この看護費用は、一日六、〇〇〇円(年額二一六万円)が必要であり、原告春子は、平成七年の満一〇歳の女子の平均余命である73.02歳を加えた八三歳まで介護を要すると考えられるから、新ホフマン方式によると、六九九四万二九六〇円となる。

なお、この請求主体は原告太郎とする。

(四) 原告太郎及び同夏子の慰謝料

原告太郎及び同夏子は、重篤な身体障害児の両親となり、精神的打撃及び子供の健やかな成長を見る喜びを奪われた上、日常の介護や愛児の将来に対する不安は極めて重大で、これは原告春子の生命を害された場合に比肩しうる程度のものであるから、原告太郎及び同夏子の慰謝料は各一〇〇〇万円が相当である。

(五) 弁護士費用

原告らが本件訴訟を提起するために委任した訴訟代理人に支払う弁護士費用は、請求額の一割が相当である。

(被告の主張)

1 診療の経過

(一) 出生後の経過

原告春子は、予定日より二二日早く出生したところ、予定日自体が前後約二週間をもって正常な誤差範囲と想定したもので、右の予定日を基準としても、すでに妊娠一〇か月目に入っての出生であって、いわゆる月足らずの未熟児には入らない。

原告春子の出生時(一分後)のアプガースコアは、チアノーゼが少し認められたため九点であったが、間もなくチアノーゼも消失した。ただ、原告春子が予定日より早く出生した低体重出生児であったので、一応慎重を期して、原告春子を保育器に収容し保温の処置をとったが、呼吸状態などその後の経過は良好であった。

そこで、被告は、約一四時間の飢餓期間を経過した後、一〇日午前一一時四五分に五パーセントブドウ糖液一〇ccを経口的に投与し、以下、午後一時四〇分に同一〇cc、午後四時二〇分に二〇パーセントブドウ糖液二〇cc、午後七時に二分の一の濃度のミルク二〇cc、午後一〇時からは三時間おきに正常濃度のミルク二〇ccを、いずれも経口的に投与した。

翌一一日も同様で、経過や哺乳の状態は良好であったが、原告春子は予定日よりも早く生まれた低体重出生児であったうえ、出生時に羊水がやや混濁していたので、被告は万一の潜在的な感染症及び新たな感染症罹患に備えて、午後四時には、ルーティンな処置として抗生物質(ラリキシン)をミルクに混ぜて投与し、午後一〇時にも同じ処置をとった。

(二) 黄疸の観察

一一日午後八時一〇分ころ、被告は、出生後四八時間経過時のルーティンな検査として、毛細管法により原告春子の血清ビ値を測定し、8.4mg/dlという生理的範囲内の結果を得た。

ところで、右のビリルビン値検査の際に採取した血液が粘い感じで、血液全体の割には分離された血清量が少なかったので、被告は、原告春子につき多血症による血液濃縮を疑い、ミルクの哺乳とは別に水分投与を追加するのを相当と判断した。そこで被告は、五パーセントブドウ糖液二〇ccを点滴しようとしたが、児が小さく、技術的に困難を感じたので、鼻腔カテーテルを挿入して注入し、さらに午後一一時と翌一二日午前一時にも、五パーセントブドウ糖液四〇ccを鼻腔カテーテルを通じて注入した。

その後、一二日午前四時及び七時にミルク三〇ccが投与されたが、原告春子は全量摂取した。

(三) 転医の決定

一二日午前一〇時、被告が原告春子を診察したところ、運動、モロー反射、筋緊張などは全て良好であったが、顔面が前日に比べてやや黄色を増しており、その分だけ黄疸の増強が窺われた。

そこで、被告は、原告春子の血清ビ値を測定すべく、その血液を採取し、遠心分離器で血清を分離しようとしたが、検査に必要な量の血清が確保できず、検査が不可能であった。そこで、被告はしばらく間をおいて、再度採血し、検査に必要な血清の確保を試みたが、結果は同じであり、被告は、その原因として多血症がさらに進行していることを強く疑った。そして、かような状況では、今後原告春子の状態、ことに黄疸の推移を被告医院で観察し、フォローすることが不可能であると考え、原告春子を淀川キリスト教病院に転医させ、血清ビ値の検査も含めた以後の観察及び処置を依頼することにし、淀川キリスト教病院に電話連絡してその承諾を得たうえ、午前一〇時半ないし一一時ころ、原告夏子にその事情を説明した。また、転医には家族の同伴と手続きが必要なので、原告夏子に対し、原告太郎に至急被告医院に来院するよう電話連絡することを指示した。

原告太郎が正午頃来院したので、被告は原告太郎にも概略を説明し、直ちに原告太郎を同伴させ、自らも同乗して、午後一二時半ころ、原告春子を淀川キリスト教病院に搬送した。

2 被告の責任

(一) 観察義務

原告らは、カルテの記載がないことをもって、被告が観察を怠っていると主張するが、この見方は短絡的である。

そもそも新生児管理において最も重要なことは、児の哺乳状況の把握であり、児に異変が起こればほとんどの場合、哺乳不良となって現れる。次いで重要なポイントは、発熱の有無、呼吸状態のチェック及び体重の推移であり、以上の四点を把握しておれば一般状態の観察としては十分といえるが(黄疸管理は除く)、被告ないし看護婦は、これらの点の観察を原告春子に対する診察や哺乳の際も含めて行っている。

次に、黄疸に関しては、観察にあたる医師の主観や気分、採光条件等による誤差を克服するため、プレート式イクテロメーター(比色計)、経皮的測定法(ミノルタ黄疸計)などが使用されるようになったが、客観的に信頼できるものとして広く普及したのが、被告が本件においても使用している分光法イクテロメーターであり、ジアゾ法などのより確度の高い検査法と比べても、生理的な通常範囲の血清ビ値では大きな検査値の開きはなく、大体合致するというのが医家の常識であった。被告は、生後四七時間後にこの分光法により血清ビ値を測定しているのであり、被告の原告春子に対する黄疸の監視に非難されるべきところはない。

(二) 血清ビ値の測定方法について

本件血清ビ値の測定にあたっては、血液の採取そのものに困難はなく、ただ分離された血清が血球に比べ少なかったというだけであり、検体の採取にあたり、無理に血液を絞り出す必要もなかった。したがって、検体に組織液が混じったということもない。この時点で多血症を疑ったからといって、児に足裏の穿刺による多大なストレスを与えてまで、再度検体の採取をする必要はなかった。

なお、淀川キリスト教病院においてもジアゾ法、フリービリルビン法による測定結果と分光法による測定結果とが著しく乖離しており、このことは、分光法には反映しえなかった特異な要素が潜在していたとみられる。

(三) 転医の時期について

被告医院において測定された血清ビ値と、淀川キリスト教病院転医時の測定結果との比較対照は、同じ方法(分光法)の結果を対比すべきであり、そうすれば、被告が計測ができなかった一二日午前一〇時ころの血清ビ値は、一五mg/dl以下であったことが推認される。このような数値であれば、交換輸血のための転医の判断は時期尚早であり、被告が右時点で原告春子を淀川キリスト教病院へ転医させたことは、適切な時期に遅れたものではなく、なんら非難されるいわれがない。

四  主要な争点

1  原告春子の黄疸の発症時期

2  被告の責任

(一) 管理・観察義務

(二) カルテ記載義務

(三) 血清ビ値の測定方法

(四) 病的黄疸についての確認義務

(五) 以上の義務を踏まえた適時の転医義務

3  損害

第三  裁判所の判断

一  事実経過について

前記の争いのない事実等に、証拠(証人玉井の証言―平成四年九月二日付け調書を「証人玉井①」と、同年一一月四日付け調書を「証人玉井②」という―及び原告太郎本人、同夏子本人、被告本人尋問―被告の平成五年二月一〇日付け調書を「被告本人①」と、同年三月三一日付け調書を「被告本人②」という―の結果の他、文末に掲記の書証)を総合すると、以下の事実が認められる。

1  出生前の経過

(一) 被告医院は、昭和六〇年一月当時、被告と副院長の妻の他、助産婦二人を含め、常勤、非常勤を併せ、七、八人の看護婦がおり、病床数は九床であった(被告本人①三、四丁)。

(二) 原告夏子は、転居したこともあって昭和五九年七月三一日から、被告医院に通院を開始し、原告夏子及び同太郎は、被告との間で、本件診療契約を締結した。

被告医院への通院中、原告夏子の身体には取り立てて異常な所見は認められなかった。

2  分娩及び分娩後の経過

(一) 原告夏子は、原告春子を予定日(最終月経―昭和五九年四月二六日―から判断されている)を基準として三六週六日の在胎期間で出生した。原告春子は、体重二三八〇グラムの低体重出生児(二五〇〇グラム以下)であった。同女の出産直後のアプガースコアは九点(四肢チアノーゼのため一点減)で、その身体機能に異常は見られなかったものの、低体重出生児であったことと保温の趣旨から、副院長は、念のため保育器に入れ保温の措置をとったが、呼吸状態が良好であったため酸素の投与は行わなかった。

なお、被告は、原告春子を保育器に入れたこともあって、保険請求の関係から、原告夏子のカルテ(乙一、二)とは別に、原告春子のカルテも作成した(乙三、以下「本件カルテ」という)。原告夏子のカルテは、主として副院長が、本件カルテは、被告が記入した(被告本人①八、九丁)。

(二)(1) 被告は、原告春子に対し、生後約一四時間の飢餓期間が経過した一〇日午前一一時四五分に五パーセントブドウ糖液一〇mlを経口的に投与した。以後の原告春子の哺乳(補液を含む)状況は、以下のとおりである(【 】内は、本件カルテに記載がなく、被告本人の供述により補われたものである)。

一〇日午前一一時四五分

五%ブドウ糖液 一〇ml

午後 一時四〇分

五%ブドウ糖液 一〇ml

午後 四時

二〇%ブドウ糖液 二〇ml

午後 七時

二分の一濃度ミルク 二〇ml

午後一〇時〜

正常濃度のミルク 二〇ml

(三時間おきに)

【一一日午前 一時

正常濃度のミルク 二〇ml】

午前 四時

正常濃度のミルク 三〇ml

【午前 七時

正常濃度のミルク 三〇ml】

【午前一〇時

正常濃度のミルク 三〇ml】

午後 一時

正常濃度のミルク 二〇ml

(母乳三mlを含む)

午後 四時

ラリキレン五〇mgをミルク

【正常濃度三〇ml】に混ぜて

【午後 七時

正常濃度ミルク 三〇ml】

午後一〇時

ラリキレン五〇mgをミルク

【正常濃度三〇ml】に混ぜて

【午後一〇時すぎ】

五%ブドウ糖液 二〇ml(補液)

(鼻腔カテーテルより注入)

午後一一時

五%ブドウ糖液 四〇ml(補液)

(鼻腔カテーテルより注入)

一二日午前 一時

五%ブドウ糖液 四〇ml(補液)

(鼻腔カテーテルより注入)

午前四時

正常濃度ミルク 三〇ml

午前 七時

正常濃度ミルク 三〇ml

午前一〇時

正常濃度ミルク 三〇ml

(2) ところで、原告らは、本件カルテの一一日の哺乳状況の記載が一〇日、一二日の哺乳状況の記載に比して不自然であり、しかも、一一日に鼻腔カテーテルによる補液を行っていることからすれば、少なくとも同日には原告春子に哺乳不振が発現していたと主張し、原告太郎及び同夏子も、本人尋問の中で一〇日午後一〇時ころ、原告春子と面会した際、当直の看護婦からミルクの飲みが悪いのでチューブで投与している旨の説明を受けたと右主張に副う供述をしている。

この点について、被告は、右カルテの記載について、投与量等に変更がなければカルテに記載せず、特に記載のない限り、三時間おきに前回量の哺乳がなされており、また、鼻腔カテーテルによる補液についても、多血症の治療として水分の補給を行うという趣旨から、本来であれば輸液による方法を採ることが望ましいが、原告春子のような新生児に対して点滴する技術がなかったため行ったものである旨本人尋問の中で供述している。

そこで被告の供述の信用性を検討するに、本件カルテには、一二日午前四時、七時、一〇時にミルク三〇mlが経口投与された旨記載されているが、その部分を除いては、前回投与量と同量の投与の記載がなされていない(一〇日午後一時四〇分は、三時間おきの投与ではない)ことからすれば、むしろ右一二日の記載に不自然さは感じられるものの、記載が行われていなくても、三時間おきに前回量の投与が行われているという被告の供述が虚偽であると認めることはできない。

また、本件で提出された証拠(医学書)には、多血症の治療法として、水分の経口投与の記載がなく、淀川キリスト教病院医師玉井晋(以下「玉井医師」という)及び福岡大学医学部助教授金岡毅(以下「金岡助教授」という)も、証言の中でその有効性を否定しているが、多血症の治療としては、水分補給をして少しでも血液を薄めることが必要であるところ(証人玉井①一八丁)、輸液がベストと知りつつ、新生児であった原告春子に対し、技術的に点滴ルートを採ることができないため、次善の策として水分の経口投与を行ったという被告の供述について、これを直ちに虚偽ということはできない。原告太郎らに対する看護婦の説明についても、被告から処置の内容について説明を受けていなかったため、被告の意図を知らないまま、想像で右趣旨の説明をした可能性がある。

したがって、一一日に原告春子に哺乳不振が発現していたと認めることはできない。

(三) 被告が右抗生物質(ラリキシン五〇mg)の投与をしたのは、原告春子が予定日よりも早く生まれた低体重出生児であったうえ、出生時に原告夏子の羊水がやや混濁していたため、万一の潜在的な感染症に対する処置及び新たな感染症の予防の趣旨から行ったものである。

(四) 一一日午後八時一〇分ころ、副院長が原告春子の足の裏から採取した血液を使用して、本件血清ビ値測定(分光法)を行ったところ、8.4mg/dlという結果を得た(乙二、三、被告本人①三六丁)。

右採血の際、採取した血液が粘い感じで、血液全体の割には分離された血清量が少なかったが、原告春子に脱水症状が認められなかったため、被告は、原告春子について多血症を疑い、ミルクの哺乳とは別に水分を追加補給するのを相当と判断し、午後一〇時の哺乳に引き続き、鼻腔カテーテルを挿入して、五パーセントブドウ糖液二〇mlを投与し、さらに午後一一時と翌一二日午前一時にも、五パーセントブドウ糖液四〇mlを鼻腔カテーテルを通じて投与した(乙二、三、被告本人①三七ないし四一丁)。

なお、原告は、侵襲的な検査である分光法による血清ビ値の測定をルーティンにすることは不自然であるとして、本件血清ビ値測定が行われたこと自体に一応の疑問を呈している。しかし、被告がかつて新生児核黄疸によって医療過誤責任を追及された経験を有すること(甲三六)からみて、生後四八時間の血清ビ値の測定をルーティンとしていたとしても、それほど不自然とは思われないうえ、仮に、それがルーティンでなかったとしても、その時点で原告春子に視診で黄疸の発症が認められたため、血清ビ値の測定を行った可能性もあることから、右測定を行ったことを覆すことができず、その他、同測定をしたことを覆すに足りる証拠はない。

(五) 原告春子の体重の推移は、生下時の二三八〇グラムから、一一日は二二〇〇グラム、一二日は二二五〇グラムと推移している(乙二)。

3  淀川キリスト教病院への転医措置

一二日午前一〇時過ぎに被告が原告春子を診察したところ、黄疸が前日に比べてきつくなっていた(乙二、三、被告本人①四四丁)。そこで、被告は、原告春子の血清ビ値を測定すべくその血液を採取し、遠心分離器で血清を分離しようとしたが、検査に必要な量の血清が確保できず、検査ができなかった。そこで、被告は、一〇分ないし二〇分の間隔をおいて再度採血し、血清の確保を試みたが、結果は前回と同じであり、被告はその原因として多血症がさらに進行していることを強く疑った。被告は、今後原告春子の状態、ことに黄疸の推移を被告医院で観察し、対処することが不可能であると考え、原告春子を淀川キリスト教病院に転医させ、血清ビ値も含めた以後の観察及び処置を依頼することにし、右病院に電話をしてその受入れを依頼した。

副院長は、午前一一時ころ、原告夏子及び来院していた原告太郎に対し、原告春子の黄疸の症状が普通の新生児より早く現れていること、血液が濃すぎて血清ビ値の測定ができないことを説明し、淀川キリスト教病院に転院させることを告げた(甲一五、原告太郎本人八ないし一二丁、原告夏子本人九、一〇丁)。

原告春子は、原告太郎及び被告が同伴して、被告医院を出発し、午後〇時五〇分、淀川キリスト教病院に到着した(乙三、甲一二の3)。

4  淀川キリスト教病院での病状

(一) 入院時の診察結果

淀川キリスト教病院では、到着時に斉藤医師が原告春子を診察し、重症(さしあたり生命の危険はないがただちに濃厚な治療を必要とする)と判断して、直ちに入院させた(甲一二の3、証人玉井①八丁)。

入院は、午後〇時五〇分であり、その際の原告春子の体温(肛門測定)は、38.4℃(搬送用保育器内温度29.5℃)で、体重は、二二五〇グラムであった(甲一二の3、一九)。

続いて、午後二時ころ、斉藤医師と玉井医師は、原告春子を診察し、活動性は良好であったものの黄疸が強く(視診で重症と判断できる程度)、肝臓が右肋弓縁より三センチ触れ(若干大きめ)、四肢の異常運動があり、モロー反射はあるがスムーズでなく、吸啜反応はあるが乏しかったため、重症黄疸と診断した(甲一九の1・2、証人玉井①八ないし一〇丁)。

(二) 血清ビ値の測定

淀川キリスト教病院では、入院直後に原告春子の血清ビ値を測定しているが、分光法では17.6mg/dl、フリービリルビン法では39.7mg/dl、ジアゾ法では、38.5mg/dlという結果であった。また、遊離ビリルビン値は2.6mg/dlであった(甲二八)。

(三) 交換輸血の実施

淀川キリスト教病院では、血清ビ値の右測定結果から交換輸血の必要性を認め、原告春子に対し、同日午後四時五〇分ころから七時三〇分ころにかけて、第一回の交換輸血(新鮮凍結血漿・三八五cc)を行った(甲一六、二〇、証人玉井①三丁)が、その際、肺出血を併発し、代謝性アシドーシスも進行したため、同日午後一〇時三五分ころから一一時三五分ころにかけて、第二回の交換輸血(新鮮血・二四〇cc)を行った(甲一六、二〇)。

その後、一旦、原告春子の血清ビ値は低下したが、一五日になって、二〇mg/dl以上に上昇し、直接ビリルビン値も上昇したため、同日午後四時二〇分ころから七時五五分ころにかけて、第三回の交換輸血を行った(新鮮血・四〇〇cc)が、その際にも途中で肺出血が発生した(甲一六)。

(四) 黄疸の原因の究明

淀川キリスト教病院では、原告春子の黄疸の原因として、血液型不適合、多血症、先天性胆道閉鎖症(CBA)、感染症などを疑い、原因究明のための血液検査、クームス試験、ケルンルート試験等各種の検査が行われたが、いずれも、黄疸の原因として特定することができなかった(甲二〇、二三、証人玉井①一二ないし一四丁)。

5  その後の状況

(一) 原告春子は、三月三〇日に退院した(甲一九の2)。

原告春子は、新生児核黄疸に起因するアテトーゼ型の脳性麻痺が残り(証人玉井①一八丁)、昭和六三年九月二四日、大阪府より身体障害者手帳(二級)の交付を受けた(甲四)。

(二) 平成五年一月二二日現在、原告春子には、精神運動発達遅滞、アテトーゼ型脳性麻痺が見られる(甲四〇)。

同年五月一九日現在、原告春子(当時八歳)は、茨木養護学校に通学しているが、知能水準は大体二、三歳で、洗顔、食事、排泄等も独力ではできない状態である(原告夏子本人一二、一三丁)。

平成六年一一月一八日現在、原告春子についての医師の所見は、左股関節亜脱臼が回復すれば歩行が可能と思われるうえ、IQテストは四〇であるが、徐々に各項目で伸びが見られ、今後の発達が望まれ、生活の自立も可能と思われるが、就職等に大きな制限がある、というものである(甲五七)。

二  新生児核黄疸について

証拠(証人玉井、同金岡、同荻田の証言及び文末に掲記の書証)によると、新生児核黄疸の原因、治療法等について、以下の事実を認定することができる。

1  核黄疸の発生機序

核黄疸は、血液中の間接ビリルビンによる中枢神経系灰白質の選択的黄染であって、それは、血液中の蛋白質と抱合していないビリルビン(遊離ビリルビン)が、血液脳関門を透過して脳神経細胞内に侵入し、沈着して神経細胞を変成壊死させることにより発生する(甲五、一〇、五六の3・4、乙一八)。

核黄疸に罹患し、それが治癒しなかった場合には、死亡したり、脳性麻痺を中心とする重篤な後遺障害を残すことが多い(甲一〇)。

ところで、新生児にあっては、肺によって大気中の酸素の吸入を開始するという環境変化に伴い、血液中の過剰な赤血球が破壊され、大量の間接型ビリルビン(脂溶性)が産生される。この間接型ビリルビンは、肝臓でグルクロン抱合されて直接型ビリルビン(水溶性)に置換され、体外に排出されるが、出生直後の新生児は肝臓機能が未熟なため、直接型ビリルビンに置換する能力が低く、間接型ビリルビンが血液中に蓄積される。そして、血液脳関門の未熟性とあいまって、新生児核黄疸が発症する可能性がある。

2  病的黄疸と生理的黄疸

黄疸は、ビリルビンが血中に増加することにより発現するもので、ほぼ全ての新生児に見られるが、そのほとんどは、生後四ないし五日ころにピークをむかえ、その後何の処置をすることなく自然に解消される(甲四四、五〇の1、五六の4、乙一八)。このような生理的黄疸と、治療を要する病的黄疸とを識別するものとして、以下のようなことがあげられる(甲五、一〇、五六の2ないし4、乙一一の3)。

① 臍帯血のビリルビン濃度が三mg/dlを超える場合

② 出生当時にはっきりと黄疸(通常成熟黄疸児では六mg/dl以上)が認められる場合(いわゆる早発黄疸)

③ 一日五mg/dl以上の血清ビ値の上昇がある場合

④ 血清ビ値が成熟児では一七mg/dl以上、未熟児では一五mg/dl以上を超える場合(日齢を問わず)

⑤ 直接ビリルビン値が1.5ないし二mg/dlを超えている場合(直接高ビリルビン血症)

⑥ 肉眼的黄疸が成熟児では第二週以降、未熟児では第三週以降も持続する場合

⑦ 黄疸が他の異常所見、例えば、哺乳不振、肝脾腫、過敏、アシドーシスなどを伴っている場合

このような病的黄疸の原因としては、血液型不適合、先天性胆道閉鎖症、肝炎、遺伝性疾患、代謝性疾患等があるが、約九割以上が、原因のはっきりしない特発性高ビリルビン血症である(証人荻田一五ないし一七丁)。

もっとも、新生児核黄疸の治療には、生後二四時間以内に発症する血液型不適合などの溶血性疾患を除いては、原因の把握は不可欠でない。

3  核黄疸の治療法

核黄疸の治療法としては、光線療法及び交換輸血があるが、血清ビ値が一定の数値(成熟児において二〇ないし二五mg/dl)を超えた場合には、交換輸血が最良にして唯一の治療法となる。このことは、黄疸の原因如何を問わない。したがって、医師としては、新生児の状態を観察し、黄疸が現れた場合には、その経過に注意して、治療の時期を失しないことが必要となる(甲三四、三八、四四、証人荻田一八丁)。

なお、ヴァン・プラーは、核黄疸に伴う新生児の症状(随伴症状)を次の四期に分けているが、交換輸血が第二期以降に行われた場合には、不可逆的な脳障害が残るとされている(甲一〇、三四、五六の2)。

第一期 筋緊張低下、嗜眠、吸啜反射減弱、モロー反射減弱

第二期 痙性症状、発熱、かん高い泣き声、眼球の異常運動・落陽現象、後弓反張、けいれん

第三期 痙性症状消褪期

第四期 錐体外路症状が徐々に出現、アテトーゼ、凝視麻痺、琺瑯質形成異常、聴力障害

4  可視的黄疸の発症時期と血清ビ値

クレーマーは、可視的黄疸の発症部位と血清ビ値との関係について、次のような対応関係を指摘している(甲四四、四七の5、乙一三)。

頭部〜頚部 四〜 八mg/dl

臍上躯幹 五〜一二mg/dl

鼠経部〜大腿 八〜一六mg/dl

肘〜手首、膝〜足首

一一〜一八mg/dl

手掌、足底   一五mg/dl以上

5  日母マニュアル

産婦人科開業医のほとんどが加入している日本母性保護医協会は、「産婦人科医療のための望ましい留意事項(上巻)」(昭和五七年五月、甲四七の2、五〇の3)、「新生児管理のチェックポイント」(昭和五九年五月、甲五〇の4)(以下、両方をあわせて「日母マニュアル」という)を発行し、その中で、以下のようなことに注意をすべき旨指摘している。

(一) チェックしカルテに記入すべき項目

(1) 体温

(2) 体重

(3) 便および尿の回数と性状

(4) 哺乳量および哺乳力

(5) 黄疸〔視診およびイクテロメーター(比色計)によるスクリーニング〕

(6) 心拍数および心雑音

(7) 呼吸数

(8) 中枢神経異常症状〔モロー反射その他の新生児の反射の消失または亢進、痙攣、ちくでき(顔面、その他の小さい筋肉がピクピクと収斂・痙攣すること)、異常運動、眼球振盪、筋トーヌスの異常、頭部後屈など〕

(9) チアノーゼ

(10) 腹部膨満、腸蠕動不穏、肝脾腫大の有無

(11) 嘔吐(回数と正常)

(12) 臍部(発赤、分泌物)

(13) 皮膚感染症

(14) 点状出血、出血斑

(15) その他口腔粘膜など

(二) 黄疸新生児の取扱

(1) 新生児は、全員、視診、イクテロメーターによる黄疸検診を毎日行い、カルテに記載する。

(2) 生後日令により一定以上のイクテロメーター指数のものは、血清ビ値を測定し、母および児の血液型、既往出生時の経過を調べ、プラー症状、頭血腫・感染、核黄疸増強因子の有無をチェックする。

(3) 黄疸顕著な場合の診察は、黄疸の強さ、血清ビ値の測定だけでなく、全身所見にも十分注意する。

(4) 出生後二四時間以内に黄疸を認めた場合は、直ちに血清ビ値の測定をするとともに、専門施設と相談し協力を得る。

(三) 重症黄疸のチェックポイント

(1) 生後二四時間以内に発現した早発黄疸ではないか

(2) 血中ビリルビン値の上昇が急速(五mg/dl/日以上)でないか

(3) 血液型不適合がないか

(4) 哺乳力や活気はどうか

(5) 嗜眠、痙攣、落陽現象はないか

(6) 蒼白、発熱、出血斑、肝脾腫はないか

(7) 大きな頭血腫や帽状腱膜下出血はないか

(四) 処置の選択

生後二四時間〜三日の黄疸児で、合併症がない、二〇〇〇〜二五〇〇グラムの児の場合、血清ビ値に応じて、次の処置をとる。

(1) 九mg/dl以下 経過観察

(2) 一〇〜一二mg/dl 血清ビ値を再チェックする。生後四八時間以内で一二mg/dl以上のときには光線療法開始、経過監視

(3) 一三〜一八mg/dl ただちに光線療法を開始する。ABO不適合の疑いがあるときは、センター専門施設へ連絡をとる。

(4) 一九mg/dl以上 交換輸血可能な専門施設へ連絡をとる

(五) 核黄疸増強因子

次のいずれかが存在するときは、光線療法開始の基準を一段下げる。

(1) 新生児溶血性疾患(真の血液型不適合)

(2) 仮死

(3) アシドーシス

(4) 呼吸窮迫

(5) 低体温(三五℃以下)

(6) 低蛋白血症

(7) 低血糖症

(8) 感染症

三  原告春子の黄疸症状について

右に述べた新生児核黄疸に関する知見からすると、原告春子に病的黄疸ないし核黄疸の症状が現れた時期が問題となるため、まず、この点について検討する。

1  原告春子の血清ビ値の経過

(一) 淀川キリスト教病院における、原告春子の血清ビ値のジアゾ法、分光法、フリービリルビン法(FB法)による測定結果は、左表のとおりである(甲二八の3、二九の7・8・10・12・13・15・16・19・20・22ないし24・26ないし28、三〇の11・13ないし15・17、三一の11・29・30・43・50、三七の2)(単位はmg/dl、B/Aは、分光法による数値をジアゾ法による数値で除したもの)。

また、原告春子のヘマトクリット値(Ht値)は、次のように推移している(甲三三)(単位は%、なお男児の正常範囲は三九〜五二)。但し、ビリルビン値測定との時間的関係は不明である。

ジアゾ法(A)

分光法(B)

FB法

B/A

Ht値

一二日 ①

三八・五

一七・六

三九・七

〇・四五

六六

三二・五

一三日 ①

一五・〇

七・〇

一二・三

〇・四七

三七

一四・七

一五・七

一・〇七

一六・三

一五・〇

一五・五

一四日 ①

一九・二

一二・八

一六・三

〇・六七

四六

一五・四

一九・一

一五日 ①

二二・八

一六・九

二三・七

〇・七四

四三

二〇・九

八・九

一六・二

一六日 ①

一八・一

一八・〇

二〇・一

〇・九九

四二

二一・〇

一七日 ①

二三・二

二四・〇

一・〇三

三九

二二・八

二三・五

一八日 ①

二三・五

二三・八

一・〇一

三九

二二・四

一九日 ①

二三・七

二二・〇

〇・九三

三五

二二・二

二〇日

二二・二

二一日

二三・四

二三・九

一・〇二

三七

二二日

二二・三

二八・一

一・二六

三六

(二) 分光法は、児の足の裏を穿刺して毛細血管から毛細管に血液を採取し、遠心分離器にかけたうえ、血清部分に光を通し、その透過率によって血清ビ値を測定するものである。

ジアゾ法は、静脈から採取した血液から遠心分離器で血清を分離し、一定の試薬を加えて色素を発生させ、発色した色を比色することによって血清ビ値を測定するものである。

分光法による検査結果とジアゾ法による検査結果は、通常、同じ程度の数値を示すが(証人玉井①一五丁)、分光法は簡便な測定方法として開発されたものであって、その精度はジアゾ法に劣ると考えられており(証人金岡二一丁)、分光法の検査結果は、器械によってばらつきが大きいほか、ジアゾ法による結果と比べて、一般に低い数値が得られる(証人荻田三九ないし四一丁)。

また、分光法による場合、足の裏から採血するにあたり、血液を絞るようにした場合には組織液が混じって実際の数値より低い値が得られる可能性があり(甲三五、証人金岡二八丁)、逆に、血液の採取に手間取ると、溶血(赤血球の崩壊)を起こし、実際の数値より高い値が得られる可能性がある(証人金岡三四丁)。

分光法とジアゾ法には、右のような相違があるが、昭和六〇年当時、産婦人科を専門とする開業医においては、分光法が一般的に使用されていた(被告本人①三四、三五丁、証人玉井②一、二丁、証人金岡二五丁)。

(三) 淀川キリスト教病院の入院時における原告春子の血清ビ値の測定値は、分光法によるものと、ジアゾ法及びフリービリルビン法によるものとで、大きな乖離があったが、ジアゾ法の方が分光法より精度の高い測定法であること、ジアゾ法とフリービリルビン法の測定値がほぼ合致していたことからすれば、ジアゾ法により得られた数値(38.5mg/dl)程度であったと推認される。

(四) 右のように、淀川キリスト教病院入院時における原告春子の血清ビ値がほぼ38.5mg/dlであったとすると、本件血清ビ値測定時からわずか一七ないし一八時間で約三〇mg/dlという急激な上昇を示したことになる。しかし、このような急激な上昇はほとんど起こりえない(証人玉井②九丁)こと、原告春子の右入院時における血清ビ値は、分光法とジアゾ法とで大きな乖離があり、一二日ないし一五日における血清ビ値も一部を除いて右各検査方法で右入院時におけるそれほどでもないが大きく乖離し、しかも、分光法とジアゾ法との値は、ヘマトクリット値が高いほどずれが大きくなる傾向が概ね読み取れるところ、本件血清ビ値測定時に原告春子は多血症(ヘマクトリット値が高い)が疑われていたこと、分光法の精度がジアゾ法に比べて低く、かつジアゾ法より低めの数値が得られる傾向があることからすれば、本件血清ビ値測定時の原告春子の血清ビ値は、8.4mg/dlよりもかなり高かった可能性が高い。しかし、その時点における正確な血清ビ値を本件の証拠によって認定することはできない。

2  原告春子の黄疸症状

(一) 淀川キリスト教病院の入院時における原告春子の所見(特に非常に黄疸が強いことと吸啜反応が弱いこと)及びその際の血清ビ値からすると、右入院時点において、原告春子には、プラー第一期症状ないしせいぜいいっても第二期の始まり程度の症状が認められるというものであった(証人玉井①一九ないし二一丁)。

この点について、原告は、右入院時においてプラーの第二期症状である発熱を来していた旨主張するところ、原告春子のその際における体温は、肛門測定で38.4℃で、一二日午前一〇時に被告医院で測定された結果(37.0℃)より上昇しているが(甲一二の2、乙三)、肛門測定による体温は、他の方法に比して一度程度上回るのが通常であること、そして、原告春子は淀川キリスト教病院への搬送中も湯たんぽで保温されていたことからすると、淀川キリスト教病院入院時に原告春子に発熱があったと認めることはできず、明確な症状としてプラーの第二期症状が発現していたとまで認めることはできない(証人玉井①一九ないし二一丁)。

また、淀川キリスト教病院の入院時における原告春子の血清ビ値は、38.5mg/dl程度であったと推認されるが、この数値からすれば、プラー第一期症状のみならず、第二期、第三期の症状がでていてもおかしくはない。しかし、血清ビ値が上がったとしても、第二期、第三期の症状がでてくるまでにはある程度の時間がかかるため、右入院時において、原告春子の症状が、第一期であったとしても不自然なことではない(証人玉井②五丁)。

(二) そこで、原告春子の黄疸症状及び被告医院での黄疸症状の経過について検討する。

(1) 血清ビ値が出生後二日から三日めに急激に上昇することは非常に稀であって、二、三時間の間に急激な上昇が起こることは、よほど何か変わった事態でもない限り生じない(証人玉井①二七、二八丁、同②九、一〇丁)。また、吸啜反応の低下や過敏症状などは、黄疸だけから生じるものではないが、通常は急激に現れるものではない(証人玉井②七丁)。右事実に、原告春子の淀川キリスト教病院に入院した際における黄疸症状(非常に黄疸が強く視診でも重症黄疸と診断できた)及び血清ビ値(38.5mg/dl程度であった)、そして、原告春子の黄疸症状を踏まえて被告がルーティンな時期でない一二日午前一〇時ころに血清ビ値の測定を試みていることを総合すると、被告が血清ビ値の測定を試みた同時刻ころにおける原告春子の黄疸症状は、単に顔面に黄疸が出ているという状況ではなく、さらに進んで、掌や足の裏まで黄疸が出ていたものと推認される。原告太郎及び原告夏子は、本人尋問の中で、一二日午前一一時ころ、副院長から原告春子の黄疸状況について右に副う説明を受けた旨供述をするが、それも右事実があったことを裏付けるものである。

なお、右のとおり、原告春子の足の裏まで黄疸がでていたことからすれば、クレーマーの基準によると、原告春子の血清ビ値は、一五mg/dl以上に達していたと推定するのが相当である。

本件カルテには、一二日午前一〇時ころの原告春子の黄疸について「顔面黄疸様」との記載があるが、前日の午後八時一〇分ころ測定した原告春子の血清ビ値が8.4mg/dlを超えていたと推認されるところ、クレーマーの基準に照らすと、その時点で少なくとも黄疸の発症が視診できたと認められること、新生児の黄疸の発現、広がりの経緯(顔面から身体、さらに手・足へ広がっていく)及び淀川キリスト教病院への転医時における原告春子の黄疸症状、血清ビ値等と、被告本人の供述(被告本人①四四丁)を踏まえると、右記載をもって顔面のみに黄疸が認められたとする趣旨であったとみることは不自然であり、右記載は、顔面の黄疸が強調されたものとして理解すべきである。

(2) また、本件カルテには、一二日午前一〇時になって初めて胸部異常なし、運動良好、モロー反射良好等、プラー第一期症状にあたる症状が存在しない旨の観察結果が記載されている。この記載内容については、淀川キリスト教病院入院時の観察結果との整合性の問題がある。

この点、玉井医師は、淀川キリスト教病院入院時における原告春子の身体状況としての運動状況、モロー反射の状況等と被告の右カルテ記載内容との間のニュアンス(淀川キリスト教病院では、手をビリビリ動かしたり、足を動かしたり過敏に動いているとして過敏症状と、モロー反射についても出ているがスムーズではないと診断したのに対し、被告においては、しっかり動いているという趣旨で運動良好と、モロー反射についても良好と診断している)に相違があるかもしれないが、必ずしも連続性がないとまで言い切ることはできない旨証言している(証人玉井①三二、三三丁)。

右証言によると、右カルテの記載のみを根拠として、右時点まで原告春子に異常がなかったと認めることはできず、むしろ、既に何らかの異常は見られたが、被告が見落とした可能性が高いとみるのが相当である。

(三) 以上の事実より、一二日午前一〇時ころには、原告春子は足の裏まで達する黄疸症状を呈し、さらにプラー第一期症状を呈していたと推認するのが相当である。そして、右の事実を前提とすれば、原告春子の黄疸症状は右時刻に至るまでに徐々に悪化してきたものと考えられる。

(四) ところで、本件血清ビ値測定時ないし一二日午前一〇時ころと、淀川キリスト教病院入院時との間に、急激な症状の変化が生じた可能性の指摘がなされているため、検討する。

(1) 大阪市立大学医学部教授荻田幸雄(以下「荻田教授」という)は、原告春子の血清ビ値及び症状の急激な変化の原因として、ウイルス感染による肝炎の可能性を指摘する(証人荻田六丁)。

右見解は、本件血清ビ値測定結果(8.4mg/dl)及び一一日午前一〇時の本件のカルテの記載結果(運動良好、モロー反射等の異常なし)と、同日午後一時ころの淀川キリスト教病院での原告春子の症状との不連続性(急激な症状の変化)を前提事実とし、その説明可能な原因として、先天性胆道閉鎖症あるいはウイルス性肝炎をあげ(淀川キリスト教病院で後に先天性胆道閉鎖症が否定されている)、そのうちのウイルス性肝炎であるとするものであるが、同人の証言の中でも、原告春子について、ウイルス性感染を積極的に根拠づける事実は述べられていない(証人荻田一九ないし二二丁)。しかも、荻田教授は、ウイルス性肝炎による血清ビ値が急激に上昇することについては、経験的な事実を述べているものではなく、他のウイルス性疾患からの類推としてその可能性を指摘しているにとどまり、かつ、肝炎ウイルス性疾患の可能性がきわめて低いことも指摘している(証人荻田一九、二〇丁)。そうすると、原告春子の血清ビ値については、荻田教授が指摘するような原因で急激な変化が生じたものとは認めがたい。

(2) 玉井医師は、血糖が低い、あるいは電解質のバランスが崩れた場合に、吸啜反応の急激な低下が生じる可能性があるところ、原告春子の場合、それらの原因となりうる因子として感染兆候があったと供述する(証人玉井②七、八丁)。

しかし、原告春子の淀川キリスト教病院入院時の所見から、右原因となりうる因子が存在したと言い切れない旨(同②七、八丁)、そして、入院後間もなく行われた血液検査の結果により感染の兆候が否定された旨(同①一二、一三丁)供述していることからして、玉井医師が右に述べるような因子を原因として原告春子に急激な症状の変化があったと認めることもできない。

四  被告の責任について

1  観察義務及びカルテ記載義務

(一) 前記のように、新生児核黄疸は、治療時期を逸すると新生児に回復不可能な脳障害や死に至らしめる危険性がある。したがって、医師としては、黄疸を発症した新生児に核黄疸の兆候がないかどうかを注意深く観察し、異常が見られる場合には、血清ビ値を測定するなどして、光線療法や交換輸血等の治療時期を逸しないように注意し、仮に、自らその治療や黄疸症状を踏まえた措置(血清ビ値の測定や身体状況の管理)等を行うことが困難である場合には、相当な設備をもった医療施設に転医させる義務を負っていると解するのが相当である。

そして、右の観察義務を履行するためには、その時々の症状経過や検査結果、とりわけ量的事実(経時的な観察が連続的になされてはじめて異常かどうかの判断資料となる事実、例えば、黄疸の発症及びその経過、体重、哺乳力、体温、呼吸数、脈拍数等)をカルテに記載することが必要である。とくに新生児のように、二四時間の監視が必要な者については、医師一人で観察を続けられるわけではなく、他の医師又は看護婦等との共同作業(チーム医療)になる(証人荻田一三、一四丁)のであるから、その症状の変化を正確に把握するためには、黄疸の発生経過等のカルテの記載が不可欠といわざるをえない。

(二) 被告は、カルテの記載について、一日の終わりにまとめて記載することが通常で、実際に観察を行っていても異常がない場合はカルテに記載しないことが多い旨供述し(被告本人①二九丁、同②三八丁)、荻田教授も、そのような例が多い旨証言する(証人荻田三七丁)。

確かに、原告が主張するように、観察した項目については、異常のあるなしにかかわらず記載することが望ましく、そのことは日母マニュアルからも明らかである。しかし、荻田教授が証言するように、異常がない場合にカルテに記載しない風潮が存在することも事実である。

思うに、カルテに記載があるかどうかということと観察を適切にしたかどうかということは次元の異なることであって、カルテの記載がないからといって、直ちに医師が患者に対する観察を怠っていたとまで認めることはできず、量的事実についても、カルテの不記載自体から医師の観察義務違反を認めることはできない。

しかし、医療行為がチームでなされているにもかかわらず、量的事実がほとんどカルテに記載されていない場合は、カルテ記載の主要な部分において本来なすべきことを怠っているというべきであって、医療スタッフ相互に患者の異常をチェックすることが困難になるなど観察の杜撰さを窺わせる一つの資料となることはいうまでもない。

被告医院においては、原告春子に対する医療行為を被告、副院長、看護婦などを含めたチームとして行っていたと認められるところ、本件カルテには、量的事実のうち、体温を除いては正確な記載がなされていない。特に黄疸については、発症時期のみならず、その後の広がり、増強していった状況の記載がなく、また、呼吸数、脈拍数等の基本的な観察項目の記載もない。

以上の事実を総合すると、被告の原告春子に対する医療行為には、観察の杜撰さが窺われる。

2  黄疸に対する処置

(一) 被告は、本件血清ビ値測定により8.4mg/dlの結果が得られたため、翌朝まで検査等の必要性がないと判断したと供述している(被告本人①三六、三七丁)。

この点、原告は、本件血清ビ値測定にミスがあったと主張するので、検討する。

確かに、前述のように、本件血清ビ値測定結果は、実際の値より低い測定値が得られている可能性が高い。そして、分光法による血清ビ値の測定のため足の裏から血液を採取するにあたって、血液を絞るようにすれば、組織間液が血液に混じり、その結果、血清ビ値が本来よりも低く出る可能性があるところ、原告春子の血液は粘っこく、採血に際して絞るようにされた可能性があることは否定できない。しかし、多血症の疑いのある新生児について分光法が有効でないとする証拠はなく、開業医においては、多血症の疑いのある新生児も含め、血清ビ値の測定方法として分光法が一般的であり、また、淀川キリスト教病院においても、ジアゾ法と分光法の各測定結果に乖離があり、分光法のそれが著しく低かったことからして、仮に、本件血清ビ値測定結果が本来の数値より低かったとしても、本件血清ビ値測定について被告に過失があったとまで断定することはできない。

また、本件血清ビ値測定時点において、被告は、原告春子に対する黄疸を含めた身体状況を踏まえ、右測定時点における原告春子の血清ビ値を信じて経過観察としたものであるが、分光法による測定がイクテロメーターによる観察よりも客観的でかつ信頼できるものであって、しかも、被告医院のような開業医レヴェルでは、分光法による測定が一般的であった以上、右測定時点における被告の右処置をもって本件診療契約上の不完全履行があったと認めることも困難である。

(二) 玉井医師は、多血症であることを前提としても、血清ビ値が8.4mg/dlであれば、翌朝まで経過観察とした被告の判断は相当である旨証言する。また、8.4mg/dlという数値は、成書(甲五、八、五六の3、乙一一の3)によれば生理的黄疸の範囲であり、日母マニュアルによっても、原告春子の生後日齢及び出生時の体重からみて、「経過観察」(九mg/dl以下)に相当する数値である(甲五〇の3)。

しかし、被告は、産婦人科を専門とする医師として、少なくとも低体重出生児、感染症、多血症(それ自体危険増強因子であるとともに、危険増強因子であるアシドーシスの原因となる)が核黄疸の危険増強因子であることを十分に認識すべきであり、また認識していたと認められるところ、被告は、原告夏子の羊水が混濁していたことから原告春子の感染症罹患(結果的には淀川キリスト教病院で否定されている)を疑い、その処置ないし予防として原告春子に抗生物質を投与し、また、本件血清ビ値測定に際して、原告春子の血液が粘っこいと感じて多血症を疑い、その治療として鼻腔カテーテルによりブドウ糖液を投与したものである。

ところで、日母マニュアルによれば、一〇mg/dl以上になると血清ビ値の再チェックが要求されるところ、8.4mg/dl測定値は、再チェックするかどうかの境界値に近いものであった。そして、日母マニュアルでは、低体重出生児であることは右指示に折り込まれていたとはいえ、原告春子には、他に核黄疸の危険増強因子の存在が疑われていたことからすると、被告としては、直ちに血清ビ値の再チェックを行う必要までは認められなかったものの、自ら又は補助者(看護婦等)によって、原告春子の身体症状、特に黄疸症状の推移、経過について慎重に観察すべき義務があったと認めるのが相当である。

(三)  本件血清ビ値測定時から淀川キリスト教病院入院までの原告春子の血清ビ値の上昇は、病的黄疸を示す一日に五mg/dlを超えるもので、かなり急激なものであった〔淀川キリスト教病院における分光法の測定値との比較によっても、わずか一七ないし一八時間で9.2mg/dl(一日あたり、12.3ないし13.0mg/dl)で、現実にはそれをはるかに超えていたと予想される〕ことからすれば、原告春子の黄疸症状も血清ビ値の上昇にともなって徐々に拡大、増強していったことが容易に推認できる。そして、新生児の黄疸については、周到な検査をするまでもなく、通常の観察をしていれば、生まれたときの赤々しい皮膚からだんだん黄色くなっていき、それが増強、拡大していくことは容易に発見できる(証人荻田二七、二八丁)ところであり、原告春子の黄疸症状は、少なくとも本件血清ビ値測定時において可視的であって、右血清ビ値の推移からして、黄疸症状の拡大、増強の経過は、夜間の照明の下での観察という悪条件を考慮しても、慎重な観察が行われていれば、被告ないし看護婦によって、容易に発見できたものと認められる。しかるに、被告が、原告春子の黄疸症状の悪化に気づいたのは、血清ビ値の再測定を試みていることからして翌一二日の午前一〇時ころであったと推認されるところであるが、右時点においては先に判断したとおり、原告春子の黄疸症状は相当に進行しており、核黄疸第一期症状を呈していたと推定されるのであるから、被告(及びその履行補助者)は、原告春子の黄疸症状の推移に対する慎重な観察を怠ったため、黄疸症状の拡大、増強を見落としたものといわざるをえない。

ところで、被告は、哺乳状況、発熱、呼吸状態、体重の推移の四点を把握しておれば新生児に生じた異常は把握可能であるところ、被告はこれを果たしていたと主張する。

しかし、被告が主張するように、核黄疸危険増強因子のある原告春子のような新生児についても、右の四点(黄疸症状の発症及び推移は含まれていない)を把握しておれば、異常の把握として十分であったのか疑問が残るうえ、仮に、黄疸症状の拡大、増強が右四点と密接な関係があるとしても、核黄疸による結果の重大性(死亡ないし重篤な後遺障害)に鑑みると、特に黄疸症状について注意深く観察することを要すると解するのが相当であり、新生児核黄疸に関して記載された成書(甲八、五〇の2、五六)にも黄疸症状について、注意深く観察することが要請されているのである。

3  原告春子の後遺障害の原因及び回避可能性

(一) 原告春子の後遺障害のうち、脳性麻痺はアテトーゼ型であって、その他聴覚障害と歯牙の障害があることから、原告春子の後遺障害は核黄疸によって生じたものと認められる(甲一〇、証人玉井①一八、一九丁)。

(二)  被告には原告春子の黄疸症状の観察を怠った不完全な履行行為が認められるところ、仮に、被告が原告春子の黄疸症状の拡大、増強に気づいたならば、一二日午前一〇時よりもかなり早い時点(遅くとも自然光の下で観察ができた時点においては拡大、増強に気づくことができたと思われる)で血清ビ値の再測定を試み、分光法によっても看過しえない血清ビ値の上昇(一日につき五mg/dlの上昇があれば病的黄疸と認められる)ないし一二日午前一〇時ころの測定と同様の血清ビ値の測定不能の結果が得られ、原告春子の症状が放置できない状況であったことに気づいた蓋然性が高い。

そして、先に認定したとおり、淀川キリスト教病院に入院した時点の原告春子の症状は、プラー第一期ないしせいぜい第二期の始まりの症状というものであり、原告春子の血清ビ値の上昇の急激さからみて、同病院入院前後にプラー第一期症状から第二期症状に移行したと推認される。したがって、被告が本件の経過より数時間でも早く原告春子の異常に気づき、淀川キリスト教病院に転医させていたならば、同病院においてプラー第一期の段階で、時間的な余裕をもって光線療法や交換輸血を行うことができたものであって、適時に右処置がなされていれば(プラー第一期の段階で交換輸血を行えば後遺症がほとんど残らない)、原告春子に核黄疸による脳性麻痺が発生しなかった蓋然性が高い。玉井医師は、もう少し交換輸血が早ければ、ビリルビン値も低く、後遺症の発生が避けられた可能性がある旨証言している(証人玉井①二五、二六丁)が、右脳性麻痺が発生しなかった蓋然性を裏付けるものである。

(三)  したがって、被告において、原告春子の黄疸症状について十分な観察を行っていれば、適時の転医が可能であり、原告春子の脳性麻痺は避けられた、すなわち、原告春子の脳性麻痺は被告の不完全履行により発生したと認められる。

五  損害

1  原告春子の逸失利益

前記原告春子の脳性麻痺の現状からすると、原告春子はその生涯を通じて労働能力を一〇〇パーセント喪失したものと認められるところ、労働省統計情報部発行の平成五年度賃金センサス第一巻第一表産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の「一八歳〜一九歳」の平均給与額(二〇六万四九〇〇円)を基準として、原告春子の満一八歳から六七歳まで四九年間の稼働可能期間の逸失利益の昭和六〇年一月一二日の現価を新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して算定すると、四一三一万一六二八円になる(計算式は、以下のとおりである)。

2,064,900×(26.5952−6.5886)=41,311,628

2  原告春子の慰謝料

原告春子の脳性麻痺の現状その他本件における被告医院における診療の経過等の前記認定事実を考慮すると、原告春子の右精神的苦痛に対する慰謝料は、一五〇〇万円をもって相当とする。

3  看護費用

原告春子は、平成六年一一月時点で、IQテストは四〇であるが、徐々に各項目で伸びが見られ、今後の発達について生活自立は可能と思われるという所見であり、この点を考慮すると、原告春子の看護費用については、満一八歳までについて一日につき五〇〇〇円(年額一八〇万円)と認めるのが相当であるが、満一八歳以降については、現時点では、看護費用が必要と認めるに足る証拠はない。したがって、昭和六〇年一月一二日の現価を新ホフマン方式により年五分の中間利息を控除して算定すると、一一八五万九四八〇円となり、同金額をもって原告太郎の看護費用相当の損害と認める(計算式は、以下のとおりである)。

1,800,000×6.5886=11,859,480

4  原告太郎及び同夏子の慰謝料

前記原告春子の脳性麻痺の現状及び本件における被告医院における診療の経過等の前記認定事実からすれば、原告太郎及び同夏子は、原告春子の生命侵害にも比肩すべき精神的苦痛を被ったことが推認されるところ、それに対する慰謝料は、各二五〇万円をもって相当とする。

5  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額その他本件審理に現れた事情を考慮すると、本件医療過誤と相当因果関係のある損害として被告に負担させる弁護士費用の額は、原告春子について、四〇〇万円、原告太郎について一〇〇万円、原告夏子について二〇万円と定めるのが相当である。

6  本件の請求では、被告らの債務不履行を理由として損害賠償を求めるものであるところ、右請求は、いわゆる期限の定めのない債権であって、請求によって遅滞に陥る。したがって、本件においては、本件訴状が被告に送達された日の翌日から遅延損害金が発生する。

六  結論

以上の次第で、原告らの請求は、被告の債務不履行による損害賠償として、原告春子に対し(その請求の範囲内である)金六〇三一万一六二八円、原告太郎に対し金一五三五万九四八〇円、原告夏子に対し金二七〇万円及びそれぞれに対する本件訴状送達の日の翌日である平成三年二月三日から民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、原告らのその余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判断する。

(裁判官中村哲 裁判官富阪英治裁判長裁判官井垣敏生は填補のため、署名押印できない。裁判官中村哲)

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